前回の更新から2週間、異例の短期更新である。 この頃、経済活性化最優先ということで公共事業、金融、成長戦略といった取組みが進められている。が、ホントにこの方向でいいのだろうかと、ときどき思う。 どうも、経済→ 金融→ 投資家のためで、大多数のふつ〜に暮らしているいる人たちのためになるんだろうか、という疑問である。 30年ほど前、就職したばかりの頃、コストを下げたり仕事を効率的に行うことによって、将来は労働時間が欧米並みに減って、家族と過ごす時間やゆとりが多くなるだろうと、何となく思ってきた。 ところが何だか最近逆に、日本の企業が国際競争に勝つために、働く人に低賃金や長時間労働といった我慢を強いるような方向に進んできたように感じる。 会社が黒字になってもボーナスにはならず、働く人よりも、国内外の株主に還元される。日本の名前であっても国際企業となると、本当に日本企業と言えるのか。 株や債権の取引も、価格の上昇や下降を瞬時にコンピュータで判断し、1秒間に何回も売り買いするという。もはや人の取引ではなく、ゲームやカジノの世界である。価格が「変化」しなければ商売にならない。 政治や行政が、その変化をつくるために、結局投資家のために、汗水流しているように思われる。毎日株や債権の上下で一喜一憂するような、一億総投資家では、情けない。貧乏人の負け惜しみか。 地球規模での格差をなくしたり、世代間の格差をなくすためには、質素で倹しく、心は豊かな生き方が必要でないのかと思う。 転勤転勤で親孝行もしなかったので、認知症の母を世話しながら、妻と倹しい生活も良いのかな、と思うきょうこのごろ。 今回は、平成25年初夏の山行きの記録。残念ながら全て単独。 ところで、4月末にロープ木登りの道具を揃えた。さっそくというか、必要に迫られて、高山のこなら山の隣の田んぼにアカマツの大木が日陰をつくっているというので、処理した。直径約30cmの太枝の先から順番に切ろうと思ったが、枝先にビビッて行けないでいると、地べたの妻が「元から切れば」と大胆なことをいう。思い切って切るとバキバキと田起こし前の田んぼに落ちた。大量の枝処理は妻が手伝ってくれた。で、ちゃんと木に登る練習をしていなかったので、宿舎横の大館樹海ドーム「語らいの森」(旧大館営林署岱野苗圃の見本林)で練習しようと思うが、人がいるといちいち説明するのが億劫というか、小心モノのため、まだ実行できていない。
○タラの芽 |
○「五ノ宮嶽」 5月18日、花輪の五ノ宮嶽に登った。花輪盆地、鹿角平野、八甲田、岩木山も眺められて良い。 |
○十和利山 5月25日(土)、晴天で、青森にいたときから気になっていた十和利山に行った。迷ヶ平に駐車。すでにタケノコ採りの人たちが下山してきた。キャンプ場の老朽化した十和利荘、管理棟、トイレなどが既に解体・撤去されていた。西登山道を登り、東登山道を下った。登山口から1.5kmほどのところにあるトイレと東屋は壊れていた。どこが管理者なのか? 尾根を行くと十和田湖が見える、絶景である。頂上からは八幡平、岩木山、森吉山など 東登山口のだいぶ下にシナノキの大木がある。 |
○姥ヶ嶽 5月26日(土)は当初昨日の疲れを癒そうと思ったが、またまた快晴のため近間の姥ヶ嶽を目指した。比内のローソンでおにぎりを購入。30分ほどで夏焼の集落。そこから直登。途中の神社まではスギ、アカマツ、ミズナラの大木が参道の並木になっている。頂上付近は40年ほどまえに天スギを皆伐した伐根が多くある。なごりの天スギ、ヒバ、どわすれしたヒバより葉が小さい針葉樹もあった。お社は最近あまり手入れされていないようである。過疎と高齢化か。 かん木を伐り開きながら進んだ。伐採の除外地までテープを回す必要はないように思う。 山頂の眺望は「ない」。 |